退職勧奨の注意点その1

1 はじめに
厚労省によると,新型コロナ感染拡大に関連する解雇や雇い止めが増加し,9月23日時点で,見込みも含めて6万439人に達したそうです。5月に失業者が1万人に達してから,1か月前後で1万人のペースで失業者が増加しているとのことですので,雇用情勢が好転する兆しがまだ見えない以上,失業者は今後も増加し,法的紛争も増加していくと思われます。
従業員との労働契約を解消する際,一方的に従業員を解雇することはトラブルのもとですので,退職勧奨をして合意退職の方向にもっていく方が基本的にはよいと考えます。
解雇や雇い止めは,労働問題のなかで法的紛争に至りやすい最たるものですので,本稿では,退職勧奨する際の注意点について述べさせていただきます。
2 退職勧奨する際の注意点
(1)退職勧奨するに当たり実務上重要なことは,どのように勧奨すれば退職の意思表示の瑕疵を従業員から主張されるリスクを減らせるかという点にあります。
この点,退職勧奨する際に,合意退職に応じさせたいと思うあまり,解雇事由がないにもかかわらず,「退職しなければ解雇する。解雇となれば再就職も不利になるし退職金の支給にも影響する。一度自分で身の振り方を考えてみてはどうか。」などと解雇をちらつかせて退職を勧奨し,従業員が渋々退職に合意するようなケースがあります。
しかし,このようなやり方は,後日,納得のいかない従業員が,「あの退職の意思表示には瑕疵(強迫や錯誤)があった。」として争ってくる可能性が高いです。
そして, 懲戒解雇の事案において,「懲戒解雇に相当する事由が存在しないにもかかわらず,懲戒解雇があり得ることを告げることは,労働者を畏怖させるに足りる違法な害悪の告知であるから,このような害悪の告知の結果なされた退職の意思表示は,強迫によるものとして, 取り消しうるものと解される。」と説示する裁判例があります。
この裁判例の理屈は,普通解雇の事案においても同様に当てはめられると思われますので,解雇事由がないにもかかわらず解雇があり得ることを告げて退職勧奨すると,強迫によるものとして取り消し得ると思われます(なお,懲戒解雇を告げる方が,従業員に強い畏怖の念を与えるため,違法な強迫行為に該当する可能性が高まります。)。
したがって,解雇事由がないにもかかわらず,解雇があり得ることを告げて退職勧奨することは,従業員から争われた場合負ける可能性が高いので、間違った方法です。
(2)では,解雇事由がある場合に,解雇があり得ることを告げて退職勧奨する方法はどうでしょうか。
上記裁判例は,「解雇事由に該当する事実がない」場合に解雇があり得ることを告げることが「強迫」(民法96条)に当たるとするものです。
そして,「強迫」とは,相手方を畏怖させるに足りる違法な害悪の告知をして相手方に恐怖心を生じさせて,その恐怖心によって一定の意思表示をさせることです。
したがって,解雇事由に該当する事実がある場合に解雇があり得ることを告知することは,違法な行為ではないので強迫に当たらないと解され,問題ない退職勧奨といえます。
そこで,解雇事由に該当する事実がある場合には,その事実を詳細に記載した解雇理由書を作成し,その理由書を従業員に示して,「会社としてはこの書面に記載された事実を確認し,結果として解雇が相当であると判断した。記載された事実について争うことは自由だが,会社としてはこの判断に従って今後の手続を進めるつもりである。もっとも,個々の事実を争わずに退職届を出すならば受け取るつもりである。」などと本人に任意の判断を促し,合意退職にもっていくことが考えられます。
(3)強迫が成立するには,強迫行為があることに加え,強迫者に,相手方を強迫して恐怖心を生じさせようとする故意と,その恐怖心によって一定の意思表示をさせようとする故意があることが必要です。
この点,解雇事由に該当する事実がないのに解雇をちらつかせて恐怖心を生じさせ,従業員に退職の意思表示をさせる場合,強迫の故意が会社に認められるので,退職の意思表示は違法な強迫によるものとして取り消されるおそれがあることは前記のとおりです。
もっとも,違法な退職勧奨を受けた従業員が,退職届を出すことの利害得失を判断した上で,恐怖心からではなく,退職した方が得だと判断したが故に退職の意思表示をした場合には,強迫と退職の意思表示との間に因果関係がないので,強迫による取消しの主張は認められないことになります。
(4)退職勧奨が過度にわたれば使用者に不法行為責任が生じる場合があり,退職が無効・取消しになるだけでなく,不法行為に基づく損害賠償責任を負うおそれもあります。
例えば, ある裁判例では,1回20分から2時間超にわたって,6名の担当者が1人ないし4人で,短期間に多数回(11~13回), 「あなたが辞めたら2,3人は雇えます」などと退職勧奨した事案で,会社の行為に違法性を認めて,原告らそれぞれに4万円と5万円の損害賠償を認めたものがあります。
そこで,退職勧奨が違法となることを避けるために,使用者としては以下の点に留意すべきです。
①退職勧奨の対象者が退職する意思のないことを明確に表明した場合には,新たな退職条件を呈示するなどの特段の事情がない限り,一旦勧奨を中断して時期を改める。
②退職勧奨する回数や期間は,退職を求める事情の説明や退職条件の交渉に社会通念上必要な限度に留めるべきであり,むやみに多数回あるいは長期にわたることは避ける。
③対象者の名誉感情を害したり,精神的苦痛を与えるような行為・発言は差し控える。
3 退職の意思表示の撤回の可否
退職勧奨を受けた従業員が,一度は勧奨に応じて退職届を提出する等の退職の申出を行ったものの,暫く経ってから,撤回したいと言ってくる場合もあります。そのような場合,会社は撤回を拒否できるのでしょうか。
この点、従業員からの退職の申出は,法的には2種類に分類されます。1つは,「辞職の意思表示」で,使用者の意向にかかわりなく確定的に辞めるという意思表示,もう一つは,「合意退職の申込み」で,使用者が承諾すれば辞めるという意思表示です。
「辞職の意思表示」であれば,辞職の意思表示が使用者に到達した時点で効力が生じますので,使用者に意思表示が到達した後は,従業員はもはや撤回することはできません。
他方,「合意退職の申込み」の場合は,使用者が承諾した時点で初めて効力が生じるので,使用者に到達した後でも,使用者の承諾の意思表示が従業員に到達した前であれば,従業員は撤回することができます。
もっとも,従業員の意思表示が,辞職の意思表示なのか,合意退職の申込みなのかの判断は微妙であり,使用者が辞職と考えていても訴訟等に至って合意解約の申込みと判断される場合も多くあります。
したがって,辞職の意思表示であることが明白な場合を除いて,会社としては,基本的に合意退職の申込みとして扱うべきです。そして,後日の撤回を防ぐために,退職勧奨に応じて従業員が退職届を提出した場合は,退職を承諾した旨を直ちに従業員に伝えることが重要となります。
以上